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Minerva2050 午後の愉しみ 記憶の記録   

 

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ベツレヘムの密告者 パレスチナのいまがわかる 

密告者


国連学校の歴史教師オマー・ユセフは、ジョージ・サバがイスラエルへの内通者と名指しされ、テロリスト射殺幇助の容疑で逮捕されたと知らされて耳を疑った。教え子のなかでもとびぬけて優秀で誠実なサバが内通者とは?動かない警察に業を煮やしたオマー・ユセフは、周囲の制止を振り切り、銃煙漂う街を徒手空拳で事件の真相を追い始めたが…。パレスチナの庶民の視点で描いた異色の本格ミステリ。CWA新人賞受賞作

まず、いくらかのパレスチナ情報を得て読みはじめないと戸惑ってしまうかもしれません。

例えばイスラエルの中であってもベツレヘムはパレスチナ自治区のひとつであるため

裁判所、警察署、役所はパレスチナ人が管理していること、

パレスチナ人にはイスラエル建国前の固有の土地や集落があること、

パレスチナでは昔からイスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒が混住していること、

パレスチナ人は家系を大切にすること、などでしょうか。

そうした混沌とした世界での殺人事件を教師の主人公が推理するという展開ですから話はややこしい。

しかしどっぷりパレスチナ人になりきって読み進めていくと深い感動が待っているという名著であります。
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Category: 文学

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スクラップアンドビルド 


NHKドラマ放映になります

「今日は家におると?」


この絶妙な長崎弁のセリフで物語は動き出します。


老人




「早う死にたか」
毎日のようにぼやく祖父の願いをかなえてあげようと、
ともに暮らす孫の健斗は、ある計画を思いつく。

日々の筋トレ、転職活動。
肉体も生活も再構築中の青年の心の内は、衰えゆく生
の隣で次第に変化して……。



うまいですね、

まるで古今亭志ん生の落語「品川心中」「黄金餅」を聴かされたような、
ちょっと残酷でなおかつ可笑しい人間の業をさりげなく語っています。

多くを語らない、

だから読者に老醜も見せないし悪臭も嗅がさない。
祖父も母も、健斗さえその人物像は語っていない。
しかし読者は知らないようでよく知っています。

スクラップアンドビルド、

周到に仕掛けられた言葉の罠か、
煙に巻く小説家のユーモアか、
スクラップアンドビルドなるほどと落語落ちで幕を閉じました。

しかし、

高齢者支援という立場からするとちょっと問題のある作品となります。

作者にとって「スクラップアンドビルド」での芥川賞受賞は将来に禍根を残すでしょう。

祖父は虚弱高齢者、いわゆるフレイル状態でしょう。

母親の冷淡な対応は祖父を要介護へ追いやるでしょうし、

健斗の対応は大腿骨頚部骨折ですぐ寝たきりになる可能性があります。

介護福祉の現場に対して作者の皮肉は実に後味の悪いものです。

老人問題を扱った小説では「楢山節考」や 「恍惚の人」の名作がありますが、

それぞれ死に向かう人間の尊厳を厳粛に問う配慮が行き届いています。

下ネタ狙いの漫才よろしく高齢者支援を笑い飛ばしては昨今の若者気質そのままで大人は救われません。












Category: 文学

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「靄の旋律」アルネ・ダールの魅力 



「ピアノが上へ下へ、前へ後ろへのんびりと歩きはじめたとき、彼女が部屋に入ってきた。

隣に潜り込んできた彼女の背中に腕をまわす。ふたりは見つめあった。

ふたりのまなざしは同じだった。

ふたりの世界は、救いようのないほどに隔たっていた。

彼女の息遣いを胸に感じ、サックスがピアノと合流するのを耳にした。

謎(ミステリー)は解けたが、靄(ミスト)が残っている。

『ミステリオーソ』

ふたりの散歩が終わりを告げ、サックスが身を振りほどいた。」

ヘレン・ハミル美穂 訳



靄の旋律 国家刑事警察 特別捜査班 (集英社文庫)靄の旋律 国家刑事警察 特別捜査班 (集英社文庫)
(2012/09/20)
アルネ・ダール

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ラストはこうです。

海外ドラマ「靄の旋律」を観ていなければ、おそらく読まなかったミステリー小説でした。

めずらしいことですが、原作よりドラマのほうがよく出来ている傑作ドラマでした。

それは例えば原作では男性の班長役を女性役に振りかえ現代性を出すなど、脚色に周到な工夫があります。

原作のパッチワークのような複雑な物語の展開も、テレビドラマだからこそわかりやすいのです。

ミステリー小説を先にテレビドラマで観てしまうのは本来禁じ手です。

でもこの本に限っていえば、原作を先に読めるかといえば、

散りじりのアラベスクに翻弄されて読み終えることが困難であったでしょう。

それがよく出来たこのミステリーが日本ではヒットしない理由でしょう。


Thelonious Monk : Original Album ClassicsThelonious Monk : Original Album Classics
(2010/04/23)
Thelonious Monk

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いっぽう、なつかしいジャズ喫茶のようにセロニアス・モンクのピアノの音色が聴こえるのは小説のほうです。

おもわず屋根裏から埃のつもったレコードを取り出してしまいました。

ことほどさように、じつに凝ったにくい作風なのです。

本国ではシリーズは十冊発表されているそうですが、日本語訳が出ません。

ここはヘレン・ハミル美穂さんにがんばってもらいましょう。




Category: 文学

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書評「冷血」上・下 高村薫 

合田が帰ってきた。

高村節のリズム感が戻ってくるのは事件現場に合田が到着してからである。

現場検証、捜査会議の詳細を極めるリアリティ表現はさすがの高村さん。

ただ事件はありふれた強盗殺人事件、犯人逮捕もあっけない。

あえてシンプルな舞台設定にして、

「冷血」な犯人の深層心理を表現しようとするのだが成功していない。

例えば、

T「その汚い安っぽいアメリカに、赤いドレスを着たナスターシャ・キンスキーの下品さがぴったりで、泣けたのです。下品のなかにも、髪の毛一本の差で美になるものがあることを発見したのが、私の『パリ、テキサス』でした。」

本書の中で、もっとも印象深い手紙文であるが、さて今日『パリ、テキサス』のナスターシャ・キンスキー髪の毛一本を記憶にとどめている読者がどれほどいるのだろうかと思ってしまう。

I「いつの間にかひとりで畑に戻っていて、キャベツを金属バットで叩き潰して回っている。ああ、いいえ、だからどうだということではないけども、やっぱり怖いこともありますよ、身内でも・・・」

中学生のいたずらなら、やっぱりだからどうだということではないだろうし、

キャベツが殺人の動機になるかという問いならやはり「ならない」。






よくよく高村ワールドを振り返ってみると、

エンターテイメント小説「レディジョーカー」後の「晴子情歌」から前作「太陽を曳く馬」まで純文学は書けていない。

ごく普通の事務員がある日当然天啓を受けてワープロをたたき始め、

「マークスの山」「レディジョーカー」と驚異的な劇的世界を生み出したが、

人間の原罪を書くほどの天啓は受けていない。

つまりチェーホフはチェーホフなのであってドストエフスキーではないということだろう。




冷血(上)冷血(上)
(2012/11/29)
高村 薫

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Category: 文学

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高村薫を読む、「レディジョーカー」 


レディ・ジョーカー〈上〉レディ・ジョーカー〈上〉
(1997/12/01)
高村 薫

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高村薫さんの傑作ミステリー「レディジョーカー」がテレビドラマ化され第一回をみました、秀作です。

同原作は2004年に日活で渡哲也さんらにより一度映画化されています。

なかなかの力作ではありましたが、映画2時間30分という時間制約のなかで、とても原作を消化し切れない中途半端な作品となりました。

                レディジョーカー
                            

原作が良ければ良いだけ映画化が難しい、そういうジレンマは藤沢周平の「蝉しぐれ」の映画化の失敗にもありました。蝉しぐれもNHKで時間をかけた連続ドラマのほうがはるかに傑作です。

その意味でもたっぷり時間をかけた今回のテレビドラマ化には期待が高まります。

前回の「マークスの山」を再度視聴してあらためて原作に忠実であると思いました。(週刊誌の記者が女性に代わっていることを除けば)

高村タッチというのがあります。彼女独特の言葉のリズム、これは今までにない乾いた快感です。


「マークスの山」での捜査会議の一場面

「若いキャリアの署長がひとり、いつ会議を始めたものかという顔でしきりに腕時計を覗いているのをよそに、合田と森は最後に着席した。早速我妻ポルフィーリが『土産はあるんだろうな』と底意地の悪い横目をよこし、又三郎は森へ眼を飛ばして『せいぜい楽しましてもらうぜ』だった。すかさず幹部席の林が机を叩いて『そこ、静かに!』と眉をひそめ、隣で碑文谷の副本部長が《本庁の動物園》という顔をし、署長が『それでは始めます』と言った。
  うまいですねえ。

ただ今回は、とくにテレビ放送ゆえのタブーにどう挑戦するか、できるか、脚色の妙味を楽しみにしています。被差別部落、在日朝鮮人、身障者、食品メーカー恐喝とテレビドラマでは避けたいテーマばかりです。ハードルは高いのです。日活映画の場合でも腰が引けていました。

それだけ原作は現代社会の闇を語りつくした凄まじい挑戦であったということです。高村薫おそるべしと世間を唸らせました。

第一回を見る限り原作の意図に忠実であろうとしています。その意気込みや覚悟が観るものにも伝わってきました。次回以降も楽しみです。


さて、高村薫さんという作家、「黄金を抱いて跳べ」「神の手」「わが手に拳銃を」「リヴィエラを撃て」「照柿」と女性作家らしからぬハードボイルド小説で話題になり、「マークスの山」で直木賞受賞、あっという間に大作家の仲間入りしました。

そして「レディジョーカー」、おそらく読者であれ批評家であれ今日までの高村作品のベストワンに挙げるでしょう。

難解になっていくのは「晴子情歌」からでしょうか。純文学への挑戦かもしれませんし、阪神淡路大地震で被災された影響かも知れません。しかし読み続ける読者からすると迷路に入ってしまった印象です。

日経新聞事件、非は新聞社側にあったのでしょうが「新リア王」の延々と続く仏教論にはさすがに新聞小説読者もうんざりしたのも事実です。「太陽を曳く馬」ではあの合田刑事が再登場し読者サイドは混乱の極みに置いてきぼりとなってしまいました。

高村薫という作家は天才型の作家でしょう。紡ぎだす物語は巫女の宣旨のようです。先生は文庫化するときに必ず書き直しをされますが必ずしも成功していません。書き下ろし時の荒々しさがそのまま残っているほうが傑作です。理性ではなく聞こえる声をそのまま書きなぐってほしいのです。

それが震災という災難に遭遇され、空想力の翼を失ってしまわれたのか、成功ゆえの放漫なのかはわかりません。

できれば「レディジョーカー」のドラマ化を機に、初心のハードボイルド小説家高村薫さんを期待したいのです。

Category: 文学

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ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ〔新訳版〕やはり読みづらい翻訳 

ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ〔新訳版〕


ル・カレの著作を流麗に翻訳されてきた村上博基さんの訳。

どうしちゃったんだろう、ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ〔新訳版〕はやはり読みづらい。

映画「裏切りのサーカス」の公開に合わせて大急ぎのやっつけ仕事だったんでしょうか。

多くの人が言っているように、翻訳のお仕事も「心ここにあらず」だとこんな不手際が起きるのでしょう。

どんな名作も翻訳者次第で原作者を殺すこともできるという例として、歴史にその名をとどめました。

旧約で違和感なく読んできたル・カレファンにはつらい出来事でした。



Category: 文学

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「水滸伝」19巻 完結編 なるほどだから面白い 

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「水滸伝」19巻 完結編 なるほどだから面白い北方水滸伝。

講談本では梁山泊に最後まで生き残るはずの楊志が北方版では第五巻で早々に死んでしまった、どうして?

その後延々と続く楊令の成長物語はなぜ?

17巻から突然登場する女真族、どうして?

多くの人が水滸伝をいまいち楽しめない、けむたいのは、

主人公たちが梁山泊で全滅する悲劇の物語だからです。

映画「アラモ」が観終わってすっきりしないのと同じ理由。

北方さんははじめから梁山泊全滅の悲劇ではなく、

北宋の滅亡による梁山泊勝利の物語を計画していたんだ。

そのためには「水滸伝」19巻、「楊令伝」15巻、「岳飛伝」16巻、全50巻を読んで欲しい、

これなら読者は胸躍らせる、という恐るべきたくらみ。

だからラストのセリフ、

「武器を捨てよ。童貫元帥は、おまえを助命されると思う」

楊令「その童貫に、伝えろ。

この楊令は、鬼になる。魔人になる。

そうして、童貫の首を奪る。

この国を、踏み潰し、滅ぼす。

いつの日か、おまえの目の前にこの楊令が立っていると、童貫に伝えろ」と吠える。

史実に沿えば北宋は滅び、童貫は首を打たれる。


Category: 文学

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「十二国記」新作は直木賞を受賞する 

jyuunikokuki.jpg


いわば東洋の「指輪物語」、きっと永く読み継がれる名作なので、

新作に直木賞くらいあげておかないと、将来、直木賞選考委員の人たちはきっと恥ずかしい目に合うでしょう。


いまは奇書、あすは名著


食わず嫌いという言葉があります。読書ではさしずめ嫌いなジャンルということでしょう。

若い女性向けのホワイトハート文庫、ましてファンタジーとなればまず本屋で手に取ることはありません。

しかしそれでも是非にと勧める人があり、勧められるままに読み始めた「十二国記」でしたが。

これが美味い、じつに美味い、あらためて食わず嫌いは良くないことだと思い知りました。

本筋の四巻をいっきに読み終わり、ため息ひとつついて、不思議な勧興を覚えました。

レミゼラブルのコゼットの物語のようでもあるし、ブロンテの嵐が丘のようでもある、

いやメルビルの白鯨の味わいでもあり、いや果てはセルバンテスのドン・キホーテの滋味かと。

ともあれ古今の名著が思い浮かぶということは「十二国記」は意外にも大変な傑作なのではないか、と。

「いまは奇書、あすは名著」の例にならうのではないでしょうか。


文学上の特徴

物語は省略しますが、いわゆる貴種流離譚の神話形式をとっています。

神話世界のリアリティを支えているのが中国史「史記」五帝本紀、夏本紀、殷本紀、周本紀あるいは「書経」。

著者小野不由美さんの書誌学の教養は相当なもので、ある執念さえ感じさせます。

東洋史の碩学「内藤湖南」漢字研究の「白川静」の系譜、京都学派につながる人ではないでしょうか。

小説「十二国記」はさしずめ「和漢朗詠集」現代版といえるかもしれません。

大きな特徴は漢字の多用、漢文読み下しの文章にありますが、

その美しさと軽快なリズムから、あらためて日本語見直しの機会になるかもしれません。

著者は「十二国記」出版のいきさつを「はじめ難しすぎて若い女性向きではない」と断られたと語っていますが、

いまどき本気で漢詩、漢文を勉強するのは大学受験の高校生か大学生くらいでしょう。

出版社が販売見通 を完全に誤っていたということになります。

目ざとい漢学者が「十二国記で学ぶ漢文」なる本を出版するほどですから。



それはおそるべき出来事です。


ユング心理学の影響

著者は「あえてモデルといえば若い女性の読者」と語っています。

そのやさしさは、

陽子、祥夐、鈴を通じて若い読者との対話をもっとも大切にしているとのテーマの核心でしょう。

アニメ版では仮面をつけた猿が象徴的に登場します。

もちろん本文でも主人公の心理描写としての猿は出てきます。

アニメ版では少し直接的過ぎますが、

仮面「ペルソナ」と魂「ソウル」の葛藤表現は、ユング心理学を援用しているとの表現でしょう。

そもそも「十二国記」の神話的世界はユングのゆめ世界そのものなのかもしれません。


経験からうまれるリアリズム

若い女性向けのホワイトハート文庫、ましてファンタジー、確かに夢のようなふわふわした話です。

しかし差し込まれている具体的な出来事は深刻な今日的な事件の連続です。

それらは、おそらく著者の具体的な経験に基づくものでしょう。

祥夐、鈴の貧困の苦しさは、著者の困窮生活の実際の経験でしょうし、

陽子の哲学的「意志」の発見は、著者自身の精神的葛藤からの発見でしょう。

著者小野不由美さんは特異な人生経験の自信から、現代に対決しているようにみえます。

経験からうまれるリアリズムの強さが「十二国記」を名作足らしめていると言えるでしょう。

ただそれは筆者のあて推量であって、小野不由美さんは無心に対話を重ねている、というのが本当のところでしょう。

名作の多くが著者も説明できないイリュージョンであったといわれてます。

きっとそういう本たちの仲間でしょう。


いまいちど、いまは奇書、あすは名著。



Category: 文学

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「25年目の弦楽四重奏」&「持ち重りする薔薇の花」 

もし人生がもう一つあったら何をしたいかと質問されて、
「第二の人生では心理学者になって、なぜクヮルテットの四人の仲がぎくしゃくするのか研究したい」
と答えたくらいなのに、演奏となるとじつにいいアンサンブルでじっくり聴かせる、
        
                  「持ち重りする薔薇の花」より



持ち重りする薔薇の花持ち重りする薔薇の花
(2011/10)
丸谷 才一

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25年目の弦楽四重奏25年目の弦楽四重奏
(2013/07/03)
アンジェロ・バダラメンティ、アンネ・ソフィー・フォン・オッター 他

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「25年目の弦楽四重奏」はヤーロン・ジルバーマン監督によるアメリカ映画、「持ち重りする薔薇の花」は故丸谷才一さんの遺作小説。ともにそれぞれの世界では趣味人にこそ愛されている佳作。

たまたま、2011年同じ時期に、弦楽四重奏団の音楽家たちを主人公に据えて、悩む演奏家を同じように描いている。

あくの抜けない苦い二品の料理をいっしょに味わうと、これが意外といける、という次第。

映画「25年目の弦楽四重奏」では
第1バイオリン マーク・イヴァニール
第2バイオリン フィリップ・シーモア・ホフマン
ヴィオラ キャサリン・キーナー
チェロ クリストファー・ウォーケン

いっぽう小説「持ち重りする薔薇の花」では
第1バイオリン 「プロフェッサー」厨川 
第2バイオリン 「殊勲賞」鳥海 
ヴィオラ 「テツチャン」西 
チェロ 「チェロさん」小山内  という設定

映画であれ小説であれぎくしゃくする不仲の理由は自らの技量への過信。

とくに第1バイオリンと第2バイオリンの仲たがいが多い。

映画では第2バイオリンのフィリップ・シーモア・ホフマンが第1バイオリンをやりたいと言い出すが、仲間から「君には第1バイオリンは無理だ」言われてだんだん切れてくる。その切れ具合はアカデミー男優賞のフィリップ・シーモア・ホフマンがうまい。

小説では第1バイオリン「プロフェッサー」の厨川君が天狗になって、
「君たちはおれをやめさせたいらしいが、それは筋違いだ。
おれのバイオリンで持っているクヮルテットぢやないか。
いやならそっちがやめてくれ。ぼくがほかのメンバーを探す」と言って出て行く。

それを言っちゃあおしまい、というところだが結局は元のサヤに帰る。

それぞれにあやうい四重奏団、「持ち重りする薔薇の花」とはさすがに丸谷才一さん、うまい。




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「家族八景」「七瀬ふたたび」「エディプスの恋人」七瀬三部作 筒井康隆 


家族八景 (新潮文庫)家族八景 (新潮文庫)
(1975/03/03)
筒井 康隆

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伝説の復活から2年!大人のエンターテインメント作品
米倉涼子版『家政婦は見た!』再び!

SF小説の出来具合はフィクションとリアリティの混合比によって決まります。

だいたいフィクション4対リアリティ6以上の比率でなければ読者はついていけないのです。

妄想家筒井康隆さんの「家族八景」「七瀬ふたたび」「エディプスの恋人」いわゆる七瀬三部作はSF小説の傑作、

その混合比はフィクション3対リアリティ7。2対8まで比率を上げていれば直木賞だったでしょうが。

小説家筒井康隆の膨大なSF,エログロ、ナンセンス、パロディ小説群のなかで一番の傑作、次点は「文学部唯野教授」。

「家族八景」にはじまる七瀬の超能力者設定は人の心を読み取る能力だけという押さえがいい。

家政婦として他人のうちを覗き込むという「家政婦は見た」の元祖版。

「七瀬ふたたび」はおそらく「家族八景」の思わぬヒットに気をよくした筒井さんが、

ヒロイン七瀬を007並みの活躍をさせるエンターテイメント小説に仕立てて二匹目のドジョウを狙って成功。

さらに「エディプスの恋人」では七瀬が神にまで昇華します。

三部作のクライマックスは60ページに及ぶエディプスの独白。

小説家筒井康隆にしてもっとも美しくもっとも泣ける珠玉の文章。

傑作です。


七瀬ふたたび (新潮文庫)七瀬ふたたび (新潮文庫)
(1978/12)
筒井 康隆

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エディプスの恋人 (新潮文庫)エディプスの恋人 (新潮文庫)
(1981/09/29)
筒井 康隆

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